記事カテゴリ別ページ
note.記事
欲望と好奇心の本質・ 人生を彩る内なるエネルギー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
前回に引き続き、ヤマトタケルのお話。
神社や、パワースポット、またそれに付随して古代日本の歴史流行りなのにヤマトタケルが知名度に比べて以外なほど話題に上らない理由は、日本書紀、古事記で書かれている物語の性格がぜんぜん違うからでしょうか?
一言で言えば、記紀だけを頼りに文章を書いている人にとっては「難しい」のです。
日本書紀では、「英雄的」に、古事記では、朝廷の「道具」として描かれています。
前回の記事で書いた通り父親の景行天皇は、女好きの天皇として知られ、子供も沢山。
その中で「ヤマトタケル」一人が特別扱いされる必然性がなく。
また、「ヤマトタケル」以前の名前(第十九回参照)を見れば古事記のほうが真実に近いように感じます。
一つ、こんなお話があります。
父親の景行天皇が美しいと評判の美濃の国造り(その地域の支配者)の娘を自分のもとにつれてくるようにヤマトタケル(当時は小碓(おうす))の双子の兄である大碓(おおうす)を派遣しますが、その娘が美しすぎて大碓(おおうす)が自分のものにしてしまいます。
そこで、景行天皇は小碓(ヤマトタケル)を、説得のために大碓の元に派遣します。
その際に小碓(ヤマトタケル)は、説得ではなく反逆者として大碓の四肢を引きちぎり殺してしまいました。
古事記では、これが元で景行天皇から疎まれていくのですが実際のところは奴隷や従僕を意味する「碓」の名前で書き記された兄弟です。
大碓(おおうす)が娘の所に派遣されたところまでは、そのとおりかも知れませんが、実際のところは美濃国造りと大碓(おおうす)と同盟が結ばれ景行天皇に反旗を翻した。
そんな相手に、「説得」の手間を掛けたとは思えません。最初から「誅殺」の目的で小碓(ヤマトタケル)を送り込んだ。そちらの方が合点がいきます。
そこから「反逆者の双子の弟」のレッテルを貼られ、日本書紀で描かれたような英雄譚に転化した「死ぬまで使い続けられる」戦いを強いられた人生だったのだと思われます。
実際に、物語の端々に彼が取った行動をを読み解くと捻くれた性格が伝わっても来ますが、扱いを考えた時に、それもまた合点の行くものとなります。
次からは、やっと物語に入っていこうかと思います。
依頼は、こちらから

コメント